メッセージ集

  • 全ての人が罪人である

    かつて、礼拝堂の正面部分に「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた」という聖書のことばが、墨で書かれて貼られていました。ある時に、恐らく初めて教会に来られたであろう婦人が、それを見て「あの罪人というのは誰のことですか? なぜあんな言葉が書かれてあるのでしょうか?」という質問をしてきました。

    その方は、「罪人」というと、新聞やニュースに出るような犯罪者のことであって、自分のことではないと思っていたのかもしれません。そこで、「その罪人というのは、あなたのことです。」と言わなければなりませんでした。


    さて、ある人は、「自分は今まで、正直に、頑張って生きて来た。罪人などと言われる筋合いはない。」と言うかもしれません。しかし、聖書を読むと、人間は誰でも罪人であると書かれてあるのです。イエス・キリストはこう言われました。


    「人から出るもの、これが、人を汚すのです。内側から、すなわち、人の心から出て来るものは、悪い考え、不品行、盗み、殺人、姦淫、貪欲、よこしま、欺き、好色、ねたみ、そしり、高ぶり、愚かさであり、これらの悪はみな、内側から出て、人を汚すのです。」(マルコの福音書 7章20~23節)


    これらの悪の内、一つも、行なったり考えたりしたことがないという人がいるでしょうか。嘘をついたり、人を憎んだり、人の悪口を言ってそしったり、高ぶった考えを持ったりしたことが一度もない人は誰もいません。

    しかも、それらは、「人の心から出て来る」のです。水の中に泥が全く入っていなければ、いくら水をかき混ぜても何も出て来ません。でも、泥が入っていれば、何かの機会にそれが舞い上がって水を濁します。同じように、人間も何事もない時は正しい人のように振る舞っていても、何かきっかけがあると悪い考えが出て来るのです。それは、全ての人の心の内に醜い罪があることを暴露しています。


    さらに、人間が犯すもっと根本的な罪は、神様への反逆です。


    「全て罪を行い続けている者は、実に無法を行っているのです。この罪とは無法のことです。」(ヨハネの手紙第一 3章4節・エマオ出版訳)


    無法とは、本来自分が受け入れるべき支配・権威を無視して生きることです。そして、聖書の中では特に、人間が神様の支配を拒むことを意味しています。人間は神様によって造られたのですから、当然神様の支配下にあり、神様の主権を認めているべきです。ところが、何と多くの人が神様に支配される必要などないと言って生きていることでしょうか。それが無法であり、罪なのです。

    ですから、罪人とは必ずしも警察に捕まるような犯罪者だけを意味しているのではありません。不道徳で乱れた生活をしてきた人はもちろんそうですが、反対に社会から高く評価されるような生き方をしてきた人でも、神様から見れば罪人であり、神様の支配を拒んでいる無法者なのです。


    そして、罪は必ずさばかれなくてはなりません。イエス・キリストは人間の死後のことについて、こう言われました。


    「恐れなければならない方を、あなたがたに教えてあげましょう。殺したあとで、ゲヘナ(=地獄)に投げ込む権威を持っておられる方を恐れなさい。そうです。あなたがたに言います。この方を恐れなさい。」(ルカの福音書 12章5節)


    人間が、創造主であられ、支配者であられる神様を無視して生き続けるなら、必ず最後には自分の身にさばきを招きます。それは、死後の恐ろしい永遠の地獄での刑罰なのです。ほんの短い人生の間、好きに生きた代償として、死後に恐ろしい地獄に投げ込まれて、永遠に苦しみ続けるなら何が幸いでしょうか。


    しかし、神様は罪人である私たち人間を愛してくださり、ご自分のひとり子イエス・キリストを世に遣わしてくださいました。そして、人となられた神の御子イエス様が、私たちが受けるべき罪のさばきを全て身代わりに受けて、十字架上で死んでくださったのです。そして、死んで三日目によみがえってくださったのです。それは、私たちの罪を赦して、私たちを天国に入る者としてくださるためでした。

    ですから、どうかあなたも、自分がさばかれるべき罪人であることを認めて、救い主イエス・キリストを信じて救われる方であってください。


    「御子を信じる者は永遠のいのちを持つが、御子に聞き従わない者は、いのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。」(ヨハネの福音書 3章36節)

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