「最近の若者は…」

最近の若者は…
時々、「最近の若者はけしからん」という言葉をきくことがあります。確かに、犯罪の低年齢化や、働きもせずにぶらぶら生きている若者の増加を見ますと、このような言葉が出てきそうになるのは分かります。それでは、昔の人間は良かったのかというと、どうもそうとは言えないようです。
この「最近の若者は…」といった類の言葉は、古代の有名な政治家や哲学者が当時の若者の悪い行状をいぶかって述べていたのだそうです。また、古代の楔形文字の粘土板に「このごろの若者の言葉遣いが悪くて困る」(…大野晋著『日本語練習帳』より引用)との記述があるといいます。つまり、「けしからん」のは何も最近の若者に限ったことではなく、いつの時代の人間にもあてはまるということなのです。
聖書はこのことを次のように語っています。
人の心は何よりもねじ曲がっている。それは癒しがたい。
エレミヤ書17章9節
私たち人間は何とかよい社会を作り上げようとして、学問を使い、法律を使い、罰則を使って悪を正そうとしてきました。しかし、今も昔も人間は罪人であり、それは決して直りませんでした。また、このことは私たち個人の人生を振り返った時にも当てはまります。
もし、皆さまが「正しい人間になろう」と努力されるなら、すぐに『人の心は何よりもねじ曲がっている。それは癒しがたい。』という言葉が真実であることを実感されるはずです。
さて、ではどうして人間はこのように罪深い者となってしまったのでしょうか。その原因について、聖書は次のように語っています。
彼らは神を知っていながら、神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その鈍い心は暗くなったのです。
ローマ人への手紙1章21節
人間の心がむなしくなり、暗くなった理由は、まことの神様を無視するようになったことにあるのです。神様は光なるお方です。ちょうど犯罪者が昼間より暗くなった頃に大胆に罪を行うように、人間は光なる神様から離れれば離れるほど、良心が鈍くなり、平気で罪を行えるようになるのです。
今や人間は、神様をほとんど意識しなくなりました。あるいは、人間の手で作った、見ることも聞くこともできない、木や石の像を「神」と呼ぶようになりました。だから、他人にさえ知られなければ、自分の利益になるのであれば、平気で罪を犯してしまうのです。
では、この罪の結果は何でしょうか。
罪の結果は
罪の報酬は死です。
ローマ人への手紙6章23節
この御言葉は、ただ肉体が死ぬというだけではなく、肉体を離れた魂が永遠の地獄でさばかれるということです。神様は義なるお方です。ですから、私たちが行う全ての罪を正しく処罰なさいます。特に、神様を無視し、神様を侮っていた罪に対して、大変厳しい処罰を行われるのです。また、当然のことながら、私たちが他人を傷つけ苦しめた、全ての悪について処罰されます。神様は次のように語っておられます。
わたし、主が心を探り、心の奥を試し、
それぞれの生き方により、行いの実に従って報いる。
エレミヤ書17章10節
神様はあなたの心を全て知っておられます。また、あなたの人生を全て覚えておられます。そして、あなたは死後、この神様の御前に立たなくてはならないのです。なんと恐ろしいことではないでしょうか。あなたは神様の御前で「自分は正しい人間だ」と言うことは出来ないはずです。ですから、あなたもこのままでは、永遠の地獄で裁きを受けなくてはならないのです。
それでは、どうすれば神様のさばきを免れることができるのでしょうか。
いいえ、それは不可能です。
『人の心は何よりもねじ曲がっている。それは癒しがたい。』からです。
では、私たちには救いの道はないのでしょうか。
いいえ、感謝なことに神様ご自身が救いの道を用意してくださったのです。

神の御救いは…!
神様は、今から約2000年前に、ご自身のひとり子を人としてこの世界に送ってくださいました。イエス・キリスト様は、全人類の罪を背負い、十字架にかかって死んでくださいました。それは、イエス様を信じる者が、一人として地獄に行くことなく、永遠のいのちを受けて天国に行くためでした。この救いが確かであることを示すために、イエス様は死後3日目によみがえり、その姿を多くの弟子たちに現わしてくださったのです。その弟子の筆頭であったペテロが、次のような言葉を残しております。
キリストは罪を犯したことがなく、その口には欺きもなかった。
ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、脅すことをせず、
正しくさばかれる方にお任せになった。
キリストは自ら十字架の上で、私たちの罪をその身に負われた。
それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるため。
その打ち傷のゆえに、あなたがたは癒された。
ペテロの手紙第一2章22~24節
神様の御救いは、なんと素晴らしいものでしょうか!それは「~せよ、そうすれば救ってやる」というものではありません。なぜなら、神様は人の心が陰険であり、人は自分の力でそれを直すことが出来ないことを知っておられるからです。そのような救いは、ちょうど泳げない人に向かって、岸から「ここまで泳いで来い、そうしたら助けてやる」と言うのと同じです。
しかし、神様は罪の深みに溺れ、永遠の地獄に向かって沈んでいくしかなかった私たちのために、この罪の世に飛び込んでくださったのです。そしてご自分のいのちを捨ててまで、救いの手を差し伸べてくださったのです。
あなたが「最近の若者」であっても、「最近の若者は…」と憂いておられるご年配の方であっても、あなた自身が神様の御前で罪人であり、この地獄からの救いを必要としていることを知ってください。
そして、あなたのために十字架にかかり、よみがえってくださったイエス様を信じてください。そうするなら、神様はあなたの全ての罪を赦し、永遠のいのちを与え、天国に受け入れてくださいます。
どうか、神様が今、あなたに与えようとしておられるこの救いを、受け入れてくださいますように、心からお願いいたします。
