ふくいん18号 -2003.4-

本当の平安ってなんだろう?
安らぎを求めて
実に多くの人々が平安を求めています。言い換えれば、多くの人々が何らかの不安を抱えているという事ではないでしょうか。
では心に平安がない原因は何でしょうか。ある人々は自分に平安がないのはお金がないせいだと思っていることでしょう。またある人々は自分に健康がないから平安がないのだと思っているのかもしれません。では金持ちで健康な人は完全な平安を持っていると言えるでしょうか。実はそうではないのです。人はいつ死ぬか分からないからです。この死に対する不安がなくならない限り人は完全な平安を持つことができません。
ここでイエス・キリストが語られたことばを聖書から引用しますので読んでください。
ある金持ちの畑が豊作であった。そこで彼は、心の中でこう言いながら考えた。『どうしよう。作物をたくわえておく場所がない。』そして言った。『こうしよう。あの倉を取りこわして、もっと大きいのを建て、穀物や財産はみなそこにしまっておこう。そして、自分のたましいにこう言おう。「たましいよ。これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ、安心して、食べて、飲んで、楽しめ。」
新約聖書 ルカの福音書12章16~21節
しかし神は彼に言われた。『愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。』自分のためにたくわえても、神の前に富まない者はこのとおりです。
不安の原因
皆様は、不安の本当の原因は、真の神様を知らないことから来ているとお考えになったことがあるでしょうか。
例えば、あなたが高い山に登り、道に迷ったとしましょう。どのようにすれば下山できるか分からなくなってしまいました。あなたは非常に不安になるはずです。このような時、あなたが求めるべきものは金ではなく、歩むべき道を見つけることです。
では、あなたに質問させてください。あなたは今どこに向かいつつあるのでしょうか。あなたの人生はどこに向かっているのでしょうか。
よく考えると、お金がないという不安は、お金がないと食物が買えない、病気のとき病院にも行けない、その結果死ぬかも知れないという不安ではないでしょうか。健康が優れないと不安であるのは、突き詰めれば死ぬかも知れないという不安なのです。すなわち不安の原因は、金がないことでも、健康が優れないことでもなく、死後どうなるか分からないことなのです。
確かに、人にとっての最大の不安は死についての不安であることには間違いありません。しかしなぜ人にとって死は恐怖なのでしょうか。
たとい「私は死なんて怖くない。いつ死んでも平気だ。」と強がってみたところで死ぬことには変わりません。「人間は死ねば、消えてなくなる。」と言ったところで、誰も一度死んで消えてなくなることを体験した者はありません。しかし私たち人間は遅かれ早かれ必ず死にます。人は死んで後、どうなるのかを正確に知るためには、先ず天地の創造主でいます神様の御存在を知らなければなりません。
無神論
無神論といって神の存在を認めない考えがありますが、それは非常に大きな間違いです。いったい、形があり、秩序を持った物で偶然にできたものがあるでしょうか。例えば時計です。誰が見ても、時計は造られた物です。時計は決して偶然にはできません。時計よりもっと精密で、複雑な物は一層偶然にはできません。では人体は時計よりはるかにすばらしくできています。人体が偶然にできるということがあるでしょうか。それは絶対にあり得ません。人間、またすべての生物が偶然に発生することがないということは、全ての物を創造された創造主である神の御存在をすべての人は認めなければならないということです。
さて、この神の御存在を否定したり、無視したり、神を神と認めずに、自分の思いのままの人生を生きた人が死んだ時、その人は何処に行くのでしょうか。これがすべての人にとって最大の問題なのです。
罪と刑罰
神は人間に良心を与えておられますので、すべての人は何が罪、悪であり、何が善であるかを知っているのです。世界のどこにいっても、すべての人は、人を殺すことが罪であり、人の物を盗むことも罪であることを知っています。私たちの良心も自分が罪を犯して生きてきたことを知っているのです。そして神が罪を罰されることを知っているのです。これが、人が死を恐れる理由であり、そのために、神から離れて生きている人の心には平安がないのです。
神がすべての人に死に対する恐怖を与えておられるのは、神が、すべての人が救いを求めて神に立ち返ることを求めておられるからなのです。ちょうどそれは、私たちが病気のとき、悪化する前に熱が出たり、気分が悪くなり、からだのあちらこちらが痛くなるのが、私たちに病気を気付かせ、医者に行かせるためであるのと同じです。ですから私たちがその病気に対する警告を無視して不摂生を続けると病気が悪化して手遅れになります。
心に不安のある人が、良心の声を聞かずに、神の警告を無視し、罪の道を歩み続けるならば、その道の最後は恐るべき永遠の破滅です。
ここで、聖書を通して神が語っておられる警告をお聞きください。
人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている
新約聖書へブル人への手紙9章27節
神は聖なる方です。神は罪を憎んでおられます。神は罪を罰せられます。ですから罪を犯すことは神に対する反逆であり、死後永遠の刑罰を受けなければなりません。その刑罰の場所を地獄というのです。地獄は、神の罪に対する怒りの火が永遠に燃えている場所であり、言葉では形容できない苦しみと絶望の場所です。
神の愛
神はこのような苦しみの場所に一人でも落ちることを求めておられません。神はすべての人が救われることを求めておられます。それで神は私たち罪人を救うためにご自分の御子をこの世に遣わされました。神の御子は処女マリヤを通して人となられました。この方がイエス・キリストです。イエス・キリストは十字架の上で私たちの犯したすべての罪を御自身の上に負われ、その罪に対する神のさばきを私たちの身代わりに受けてくださったのです。イエス・キリストは私たちの罪の代価をすべて御自分のいのちをもって支払ってくださったのです。
私たちを救うための十字架の御業はすべて成し遂げられ、どのような罪人でも罪が赦され、天にある永遠の神の国に入れられるための備えができているのです。そのことの確証のために、神はご自分の御子イエス・キリストを死後三日目によみがえらせてくださいました。イエス・キリストはよみがえられてから40日間にわたり、500人以上の弟子たちの前に現れて、ご自分が神の御子であり、唯一の真の救い主であることを明らかにしてくださったのです。
神は、イエス・キリストを自分の救い主として信じ受け入れるすべての者に罪の赦しを与え、永遠のいのちを与えてくださいます。
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
新約聖書ヨハネの福音書3章16節
イエス・キリストの救いを信じ受け入れる者には罪の赦しが与えられ、神の子どもとされ、永遠に生きるいのちが与えられると、神は約束しておられます。
イエス・キリストを信じて救われた者の心には真実な平安が与えられます。あなたもこの平安を心に持つ人となられますように。


