ふくいん25号 -2005.9-

光陰矢の如し
私たち人間はどこから来て、今何のために生きどこへ行こうとしているのだろうか
時間の過ぎる速さが矢のようだとは良く言ったものです。私たちも、こどもの頃は時間が無限にあるように思っていました。しかし今、確かに、振り返ってみるならば人生はあっという間に過ぎ去っており、つい最近のことと思っていることが、5年前のこと、10年前のこと、いやいや自分のこどもの頃のことだということが良くあるものです。私たちは、非常に高速で動いているベルトコンベヤーの上に乗せられているように思われます。人の一生は短いということは事実です。
ではこの短い人生を生きている私たち人間は何者なのでしょうか?そして私たちは短い地上での人生を終えてどうなるのでしょうか。
ある人は、天地創造の神のご存在を否定しています。そして、それがあたかも、当然で正しいことであると考え、神のご存在を認めることを、何か特殊な、信心深い人の気まぐれか、思い込みのように思っています。
また、ある人は、神の存在を認めたい人は認めても良いが、認めたくなかったら認める必要はない、とにかく神の存在などは、認めても認めなくてもどうでもいい問題だ、と考えています。
あなたは、どうでしょうか?
神の存在
この問題について聖書はどのように語っているでしょうか。
神について知られることは、彼らに明らかです。それは神が明らかにされたのです。神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。それゆえ、彼らは神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなりました。彼らは、自分では知者であると言いながら、愚かな者となり、不滅の神の御栄えを、滅ぶべき人間や、鳥、獣、はうもののかたちに似た物と代えてしまいました。それゆえ、神は、彼らをその心の欲望のままに汚れに引き渡され、そのために彼らは、互いにそのからだをはずかしめるようになりました。
新約聖書ローマ人への手紙1章19節~24節
人間だけでなく、全ての動植物は、地球の上に勝手に発生したものではありません。創造主でいます神の力と知恵によって造られたのです。私たちは神様の御手によって造られて、生かされているのです。神は、広大な宇宙、動植物の不思議、人間の体の精密な秩序などを通して、ご自身のご存在を明確に語っておられるのです。
ですから、「神などは、信じても信じなくても良い。」と言うことは、神様に対して非常に悪いことであるのです。天地を創造された神を畏れ敬わず、神がいないかのように神を無視し、神に対して反抗的に生きることは、私たちが犯す誤りの中でも最大の誤りです。なぜならば、神に対する反抗というその罪は、必ず神によってさばかれるからです。その罪に対するさばきは、人の死後に行われます。それについて聖書は次のように語っています。
人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている。
新約聖書へブル人への手紙9章27節
これは何と厳粛なことではないでしょうか。罪人の上に下される神のさばきは、死後の地獄です。私たちはこの点で誤解してはなりません。
ある人は、この世において、苦しい目に遭うと、これは生き地獄だと言ったりします。そして、もがいても問題が解決しないと神など存在するものかと暴言を吐いたりします。しかし、それは単に地上だけのことであり、神から離れた人間がお互いに欲望のままにむさぼった結果、ある者は成功し、ある者は虐げられているに過ぎないのです。この世における、病気、貧困、不和などを神の究極のさばきと思っていはいけません。
神は正しく聖い神であられ、この世のすべての人間を公平におさばきになります。それは、人の死後に行われ、神を無視して生きてきたすべての人間は、神にさばかれて地獄に投げ込まれるのです。そこは永遠の燃える火の池であり、永遠に昼も夜も苦しみを受ける場所です。
神の愛
しかし、神様は私たちを愛しておられ、私たちが一人も滅びることを求めておられません。
神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。
新約聖書テモテへの手紙2章4節
主は、………ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。
新約聖書ペテロの手紙第二 3章9節
万物の創造主でいます真の神は、死後永遠の地獄に行くべきだった私たち罪人を救うために、ご自分の最も愛しておられる御子をこの世に遣わされました。イエス・キリストこそ、処女を通して人となられた神の御子であられます。イエス・キリストは、人として三十数歳のとき、罪人の手によって十字架の上にはりつけにされました。その時、イエス・キリストは私たちの全ての罪をご自分の身に負い、その罪に対する神のさばきを私たちの身代わりに受けて死んでくださったのです。そして、イエス・キリストは、死後三日目に永遠に死なないからだをもって甦られました。イエス・キリストは死の力を永遠に打ち破ってくださったのです。それは、イエス・キリストを、自分の救い主として信じ受け入れる者すべてを救い、信じる者みなに永遠のいのちを与えて神の子どもとし、神の御国において永遠に生きる者とするためであったのです。
これが、天地を創造された真の神様が私たちのために与えてくださった真の救いです。このことについて聖書は次のように語っています。
キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。
新約聖書ペテロの手紙第一2章22節~24節
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
新約聖書ヨハネの福音書3章16節
手遅れになる前に
以上のことについてあなたはどうお考えですか。神はあなたを愛しておられ、あなたが神のもとに立ち返るのを待っておられるのです。
ひとりの罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人にまさる喜びが天にあるのです。
新約聖書ルカの福音書15章7節
主を求めよ。お会いできる間に。近くにおられるうちに、呼び求めよ。悪者はおのれの道を捨て、不法者はおのれのはかりごとを捨て去れ。主に帰れ。そうすれば、主はあわれんでくださる。私たちの神に帰れ。豊かに赦してくださるから。
旧約聖書イザヤ書55章6節~7節
「神なんて信じなくても良い。死後に地獄がある、ということは脅かしにすぎない。だれも死んでからこの世に戻ってきて、地獄があったと言った人はいない。死んだ先のことを考えるよりも、今の人生を楽しく生きよ。」
という間違った考えを止めて、神の招きに応えて、当教会で行われる福音伝道集会にお越しくださり、真の神が私たちに備えてくださった唯一の救いについてのメッセージをお聞きくださるように、こころからお勧めいたします。


