ふくいん29号 -2006.11-

あなたにとって
今年はどんな年でしたか?

今年の世相

毎年、年末に漢字検定協会が公募して、今年の世相を表す漢字が選ばれます。
「震・食・倒・毒・末・金・戦・帰・虎・災・愛」
これらの漢字は1995年から2005年までの、各年を表す漢字です。これらが選ばれた理由を見れば、その年がどのような年であったかが大体うかがえます。
震災の年/O-157の食中毒/山一證券など大企業の倒産/カレー毒物混入事件/世紀末、世も末/高橋尚子の金メダル、金さんの死去/9-11 テロとの戦い/拉致被害者の帰国/虎(阪神タイガース)の優勝/多発する天災/愛 地球博、愛の欠乏を感じさせる事件の多発。
こうして見ますと、私たちの社会には喜ばしいことよりも悲しいことや辛いことが満ち溢れていることが分かります。今年一年を振り返ってみても、いじめによる自殺や北朝鮮の核実験など悲惨なことが本当に多くありました。また、多くの人が「昔は良かった。」と思われるように、この社会は益々腐敗し、悪くなってきています。では、一体なぜ、このように悲惨な社会になってしまっているのでしょうか。

なぜ悪くなってしまったのか?

 社会が悪い、ということはとりもなおさず、その社会を構成している一人一人が悪い、ということです。白いレンガで家を造れば家は白くなりますが、黒いレンガで家を造れば黒い家になるでしょう。私たちの心が暗いので、人間社会も非常に暗いのです。ですから、私たちは人間社会を取り巻く様々な悲しみや悲劇を嘆く前に、なぜ、人間一人一人がこのように暗い思いを持っているのかを考えるべきなのです。

 聖書はこの問題に関して次のように語っています。

それゆえ、彼ら(人間たち)は神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなりました。

ローマ人への手紙第1章21節

 人の心の暗さは神を無視していることに起因しているのです。多くの人が神さまを無視していますが、神様を全く知らないわけではありません。その証拠に地球上のどこに行っても何らかの「神」が拝まれていますし、どの国語にも「神」という言葉があります。

 これは驚くべきことです。例えば、全色盲の人は色を知りません。ですから仮に全色盲の人たちだけの世界があれば、そこには「赤」とか「青」という言葉は存在しないでしょう。「赤」や「青」の存在に気が付かないからです。同様に、もし人間が「神様」という存在に気が付いていないならば、「神」という言葉を作ることはなかったはずですし、あったとしても、それは少数の言語だけに限られたことでしょう。

 しかし、どの言語にも「神」という言葉、概念があり、「神」と聞いて皆が思い浮かべることも似通っています。「神様」は力があり、知恵があり、正しく、愛があるお方だ、と、誰もが無意識で思っているのです。これこそ、人間が神様を知っている証拠です。しかし、多くの人々は、神様が造られた食べ物を食べ、水を飲み、神様に生かされていながら、この神様に感謝することなく、自分が困った時に神頼みをする以外は神様を無視して生きています。

 これは、大変大きな罪です。そしてこの罪の結果人々の心は暗くなったのです。人間は、自分の幸せや快楽のみを追求し、自分が成功するために人を蹴落とすようになり、それが、結局は自分自身をも、周りの人をも不幸にしているということに気が付かずに生きているのです。そして、その行きつく先は「死」です。

人は死ねばどうなるのか?

 人間は死後に神様の前に立たせられる時がきます。そして、神様はその人の生涯の行いをご覧になり、それによって裁きをなさるのです。さて、これをお読みのあなたはどうでしょうか。あなたの今までの人生を神様がご覧になったなら、神様はどのように計られるでしょうか。

 ちょうど、私たちが年末にその一年を漢字一文字で表すように、神様があなたの人生をご覧になり「善」と「悪」どちらか一文字で表されるとしたら、一体どちらが相応しいでしょうか。これは、あなたが他の人と比べて良い人であるか悪い人であるかの話ではありません。神様の義の基準から見てあなたがどのようであるかということです。残念ながら神様の義の基準から見るなら、あなたは「悪」を行ってきたと宣言されなくてはならないのです。

 そして、その罪の結果は、神様の怒りの火が燃える永遠の地獄です。あなたは、まことの神様を無視している罪のために、そして、その結果として犯してきたいくつもの罪のために、今地獄にまっしぐらに向かっているのです。

神の救い

 しかし、神様はあなたを愛しておられます。そして、素晴らしい救いを用意してくださいました。この暗い罪と死の世界の中で、唯一光り輝く素晴らしい希望があるのです。それは、イエス・キリストによる罪の赦しです。神様は人間のために、ご自分の御子であるイエス様をこの世に人として遣わしてくださいました。

 それは、イエス様の上に全人類の罪を背負わせ、私たち一人一人の身代わりにイエス様を罰するためでした。イエス様は、その父なる神様の御心に従われ、十字架上で私たちの罪のために死んでくださったのです。そして、イエス様は死後三日目によみがえり、その御姿を多くの弟子たちに現し、ご自分が本当に救い主であられることを証しなさいました。

 ですから、あなたが自分は罪人であると認め、イエス様を救い主として信じるならば、神様はあなたの罪をすべて赦し、あなたを地獄ではなくて天国に入れて下さるのです。何と素晴らしい救いではないでしょうか。

二つの道

 あなたの目の前に今、二つの道が用意されています。一つはこのまま神様を無視し、あるいは人間が手で作った偶像を拝み、神なく望みない人生を地獄に向かって歩む道。もう一つは、罪を悔い改めて、真の神様を信じ、神様が用意してくださった救い主であるイエス様を信じ、喜びと希望を持って天国に向かって歩む道。

 どうか、後者を選んでください。そして、希望のない暗い人生とその結末である地獄より救われて、希望と喜びに満ちた天国に入る方であってくださいますように、心からお勧めいたします。

偶像崇拝は罪

 文化庁の宗教年鑑によると日本の宗教人口は神道系と仏教系だけで2億人をこえるのだそうです。確かにどこの町に行っても寺と神社があり、中には寺の中に鳥居があるようなところさえあります。家の中に神棚と仏壇があっても不思議に思わず、ほとんどの日本人は年の瀬には108つの煩悩を消すために寺へ除夜の鐘を聞きに行き、年が明ければ家内安全や健康を願って神社に参ります。あなたはそのようなことをしていて恥ずかしいとは思いませんか。何でもかんでも拝んであちらこちらの守り札をぶら下げ、自分の欲がかなえられなかったら適当に捨てる。照る照る坊主などは天気を晴れにすることが出来なかったら首が切り取られてしまう有様です。全くどちらが神か分かりません。

 聖書は次のように語っています。
『偶像を造る者はみな、むなしい。彼らの慕うものは何の役にも立たない。彼らの仕えるものは、見ることもできず、知ることもできない。彼らはただ恥を見るだけだ。 だれが、いったい、何の役にも立たない神を造り、偶像を鋳たのだろうか。 見よ。その信徒たちはみな、恥を見る。それを細工した者が人間にすぎないからだ。彼らはみな集まり、立つがよい。彼らはおののいて共に恥を見る。』

 人の手でこしらえたものが神であるはずがありません。おのれのむさぼりのために偽物の神に願を掛けるなどということは天地の創造主なる神に対する冒涜でありさばきをもたらすものです。あなたは神の前にその罪を認め、ただちに神に立ち返るべきです。

神ご自身が彼らとともにおられて、彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。
─ 聖書 ─