遺伝学が本格的に始まったのは,メンデルの法則が再発見された1900年と考えることができます。1902年にはアメリカのサットンが、遺伝子の行動が細胞分裂の際の染色体の行動と類似していることに気がつきました。やがて、ベーツソンらの連鎖の発見などがあり、遺伝子と染色体とが結びつくようになってきました。
この方向で決定的ともいえる研究成果をあげたのはが、ショウジョウバエ遺伝学の父と言われるアメリカの遺伝学者トーマス・ハント・モーガンでした。

彼は、形質が遺伝するための物質として遺伝子が染色体の一部として存在することを証明しました。また、染色体上の遺伝子の配列を示す染色体地図も作成しました。
彼は1910年までメンデル遺伝学を否定し、ド・フリースの突然変異説を支持していました。彼は眼の退化を期待して実験でそれを再現するために、暗室でショウジョウバエの飼育を開始しました。結局実験は失敗しましたが、ショウジョウバエの白眼の突然変異を発見しました。その実験結果で白眼のハエは圧倒的にメスが多いことから、彼は「染色体説」を支持するようになり、かれはメンデルの法則を支持するようになりました。

かれは『進化論批判』(1916)、『進化と遺伝学』(1925)においてメンデル遺伝学で取り扱う小さな不連続的遺伝変異に自然選択が働いて進化がもたらされると主張しました。彼は、もし突然変異が有害である場合はすぐに除去され、有利なものであれば次第に広がっていくと考えました。さらに、新しい突然変異をもつものが古い突然変異をもつものより有利でも不利でもなければ、それが古いものと置き換わるかどうかは偶然によるが、それが何回も起これば、やがて新しい突然変異が古いものに置き換わるだろうと考えたのでした。(=中立説)
しかし、実際はそうではありませんでした。この後、モーガン学派の研究者たちによってショウジョウバエの遺伝子にX線を照射し、突然変異を人工的に起こし新しい種を作ろうとする実験がおこなわれました。そのために何百万、何千万、いや数え切れないほどのショウジョウバエが使われました。
しかし、ただの一匹も新しい種に進化したものは現れませんでした。
