津久野キリスト恵み教会

信仰の証し

20代男性-2012.11-

私の母は私が生まれる前にクリスチャンになり、父も私が生まれて間もなくイエス・キリストを信じる信仰を持ちました。ですから、私は物心が付く前からクリスチャンである両親のもとで育ちました。そして、この全宇宙やすべての生き物を造られた神様がおられることを聞かされました。幼いころではありましたが、美しくてよくできている動植物や人間の体が偶然にできたのではなく、神様によって造られたというのは当然のことだと納得していました。

私は毎週教会の日曜学校に参加して、聖書の話を聞くうちに、自分が神様の前に罪人であることが分かりました。恥ずかしい話ですが、私はよく嘘をつきましたし、兄弟に対して腹を立てたり、自分勝手なことを言ったりして人に迷惑をかけることもしばしばありました。全てをご存じの神様の前に、罪がないなどとはとても言えなかったのです。そして、罪を犯した私は、死んだ後で罪の刑罰の場所、火の燃える地獄に行かなければならないと聞きました。確かに、悪いことをして何も罰がないことの方が変なのですから、死後にさばきがあることを否定しようもありませんでした。しかし感謝なことに、私を救うために、イエス・キリストが十字架につけられて身代わりにさばかれてくださり、三日目によみがえってくださったことを私は聞いたのです。「イエス様は何の罪もない神のひとり子なのに、人間となってこの世界に来てくださり、僕のために十字架につけられて身代わりに罰を受けてくださった。そして僕はただイエス様を信じるだけで天国に行けるなんて、なんてすばらしいことだろうか。」と感謝しました。私にとっては、イエス様のしてくださったことはすばらしいことばかりで、イエス様を拒む理由など何もなかったのです。

そのようにして、幼い時から素直にイエス・キリストを信じていた私でしたが、中学・高校生の頃になると、色々と自分の信仰について考えることがありました。幼い頃の私は、聞かされるままに信じてきたけれど、聖書に書かれてあることは果たして信頼できることで、本当だろうかと思ったのです。もし、死後にさばきがあること、イエス・キリストの十字架と復活、キリストを信じる者が天国に行けること、これらが現実のことでなくて空想に過ぎないなら、いくらイエス・キリストを信じても何も意味がないことになります。それは、私にとって重大問題でした。神様に、「本当のことを教えてください。」と祈り、また聖書を読みました。最終的に、確かに聖書が語っている救いのメッセージは本当のことであり、信じるべきものだということがよく分かりました。今振り返ってみると、その確信は神様が与えてくださったに違いありません。

幼い時から私を神様のもとへと引き寄せてくださり、またイエス・キリストを信じる信仰を与えてくださった神様に心から感謝と賛美をおささげいたします。

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