津久野キリスト恵み教会

信仰の証し

40代男性-2017.4-

わたしは、長い間、神社仏閣に慣れ親しんできました。

季節ごとのお祭りや初詣に行くのが楽しみで、それが当たり前と思っていました。だからといって、何かを信じているわけではありませんでした。死んでも無になるだけ、と思っていました。一方で、何か困りごとがあると、神頼みをし、困りごとが解消されるとすっかり忘れてしまう、というような都合の良い態度を繰り返していました。

母がキリスト教系の学校に行っていたことから、家には聖書があり、聖書について、まったく知らないわけではありませんでした。 断片的に読んでいましたが、単なる道徳の書物としか思っていませんでした。 「ノアの大洪水」や「モーセのエジプト脱出」など、いくつかの話は科学的にも証明されている史実であることは知っていましたが、ほとんどの内容は、ただの教訓の物語だと思っていました。

わたしは科学の道を進んでいたため、ビッグバン、進化論、といったことも何の疑念もなく受け入れ、当然のことと思っていました。そのため、無神論の考え方が当たり前になっていきました。

妻と知り合い、妻から聖書のこと、イエス様のことを聞かされていましたが、まったく受け入れませんでした。 キリスト教も宗教のひとつであり、そういう教えもある、という程度の認識しかしていませんでした。 人それぞれ信じるものは自由なので、別に否定はしませんでしたが、わたし自身とは無関係、特に受け入れる必要もないと思っていました。

仕事の関係で、東京から大阪に来ることになりました。 妻が聖書のメッセージを録音したCDを聞いていたので、聖書の内容にはもともと興味があったので、勉強になるかな、と何となく思い、車の中などで聞くようになりました。 そのような中で、宇宙論や進化論についてときどき考えたり、聖書のメッセージを聞いたり、本を読んだり、テレビ番組で聖書関連の話を聞いたりしていました。

そんなとき、図書館でふと目についた昆虫の進化に関する本を読んで、おかしい、ありえない、と思いました。たまたま、貸出しの列に並んでいて、ふと目に付いた本をパラパラと読んでいると、蜘蛛のことが書いてありました。

古代には糸を出さない蜘蛛がいたそうですが、その蜘蛛が進化した結果、糸を出さない蜘蛛はいなくなったというような記述でした。ところが、それを読んで、おかしい、と気付いたのです。 そもそも、なぜ、蜘蛛は糸を出そうと思ったのか。糸を出さない蜘蛛がいたということは、糸を出さなくても生きていけたということでもあるので、それならば、なぜわざわざ糸を出そうと思ったのか。 糸の存在自体を知らないのに、糸を使って獲物を捕まえようと思ったとしたらとても不思議なことです。これを突然変異、進化で片づけるには明らかに無理があります。 蜘蛛の巣は同心円上でとても精巧に作られており、蜘蛛が自分の糸にひっかかることはありません。 しかも、蜘蛛の糸は鉄より頑丈だそうです。そのような完璧な糸が突然変異で生じるとはとても思えませんでした。 これに気付いたときに次々と疑問がわき上がってきました。

蝶は幼虫の間は葉っぱを食べていますが、成虫になると花の蜜を吸います。体の形もまるで違います。ずっと葉っぱを食べたのに、なぜ突然花の蜜を吸おうと思ったのか。 しかも、蜜を吸うためにはストローが必要です。ストローを発明しない限り蜜を吸うことはできません。つまり、ストローを発明するまでは、なにも食べられない。ということは、その時点で絶滅してしまうだろう、だったらなぜ今繁栄しているのか、と素朴な疑問に思い至りました。

そして、今まで当たり前だと思っていた進化論が実は間違っているのではないか、とようやく気付きました。進化論が間違っているということは、この地上や天にあるものはすべて誰かに作られたもの、ということになります。 このことに気付いた時、聖書を何の疑いもなく受け入れることができました。そこで、聖書をさっそく購入し、真剣に聖書のメッセージのCDを聞くようになりました。 そして、イエス様がわたしたちを救われるためにこの地上に来られ、十字架にかけられ、三日目によみがえられたことも素直に受け入れることができました。

大阪に来たときには、犬を飼っていたのですが、犬が飼えるところがほとんどなく、今のところに住むことになりました。すると、それが、たまたま津久野の教会の近くだったのです。これも神様のお導きだったとしか思えません。

今は、イエス様がまことの救い主であることをはっきりと確信しています。いかに今まで神様に逆らい無視してきたかということを知り、自分が罪人であると自覚しました。このような、今まで神様に背いてきたわたしのようなものを忍耐強く導いてくださった神様に心から感謝しています。 これからも聖書を学び続け、イエス様に頼り、交わり、たくさんの人に聖書のメッセージを伝えていきたいと思っています。

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