津久野キリスト恵み教会

ふくいん73号 -2021.12-

「『私たちは神の中に生き、動き、存在している』のです。あなたがたのうちのある詩人たちも、『私たちもまた、その子孫である』と言ったとおりです。そのように私たちは神の子孫ですから、神である方を金や銀や石、人間の技術や考えで造ったものと同じであると、考えるべきではありません。

神はそのような無知の時代を見過ごしておられましたが、今はどこででも、すべての人に悔い改めを命じておられます。

なぜなら、神は日を定めて、お立てになった一人の方により、義をもってこの世界をさばこうとしておられるからです。神はこの方を死者の中からよみがえらせて、その確証をすべての人にお与えになったのです。」

死者の復活のことを聞くと、ある人たちはあざ笑ったが、ほかの人たちは「そのことについては、もう一度聞くことにしよう」と言った。こうして、パウロは彼らの中から出て行った。ある人々は彼につき従い、信仰に入った。その中には、アレオパゴスの裁判官ディオヌシオ、ダマリスという名の女の人、そのほかの人たちもいた。

(使徒の働き 17章28~34節)

人間

さて、聖書は人間について、「私たちは神の子孫」であると語っています。つまり、神と人間には似ている点があるということです。たとえば、人間が目で見たり、耳で聞いたりすることができるのは、人間を造られた神ご自身が、見ることも聞くこともおできになるからです。

また、この世界には、国や文化は違っても、全人類に共通した根本的な認識というのがあります。たとえば、弱いもの(それが人間であれ動物であれ)を虐げることは恥ずべき悪であるという感覚、不倫や不道徳は称賛されることではないという道徳観は基本的に誰もが持っています。それは、人間を造ってくださった神が、憐み深く、また清いことを尊ばれる御方なので、神によって造られた人間にも同様の思いがあるのです(生存競争の結果進化したとする進化論によるならば、弱者への憐みや道徳心は説明が困難です)。

偶像礼拝の罪

しかし、残念ながら多くの人々は、人間を造られたまことの神ではなく、「金や銀や石、人間の技術や考えで造った」偶像を拝み、願いごとをささげます。それらの偶像は「口があっても語れず目があっても見えない」(詩篇115篇5節)ものであり、「きゅうり畑のかかしのようで、ものも言えず、歩けないので、運んでやらなければならない」(エレミヤ書10章5節)ものです。どう考えても人間を造ることができるような神ではありません。しかし、人間は自分にとって都合が良ければ何でも拝むのです。そして、私たちを造り、生かしてくださっている神を無視して生きているのです。

しかし、そのような人間の態度に対して、「神はそのような無知の時代を見過ごしておられましたが、今はどこででも、すべての人に悔い改めを命じておられます」と聖書は警告しています。

神以外に誰が、このような人間の姿を長年忍耐し、雨を降らせ、太陽を昇らせ続けることがおできになるでしょうか。神がそうなさるのは、人間に悔い改めの機会を与えたいと思われるからです。しかし、多くの人は神によって日々、空気や水、太陽の光も命も無償で与えられていながら、その神などどうでもいいと言って偶像を拝み、あるいは神を無視し続けているのです。

罪のさばき

ですから神は「義をもってこの世界をさばこうとしておられる」のです。神は罪を憎まれる義なる方、聖なる方です。神に逆らい、神が嫌われる罪を数多く犯している人類を必ずおさばきになります。そして、あなたもさばかれなければなりません。聖書は、人間の死後には恐ろしいさばきの場所、火の燃える地獄があるのだとはっきり語っています。

「しかし、臆病な者、不信仰な者、忌まわしい者、人を殺す者、淫らなことを行う者、魔術を行う者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者たちが受ける分は、火と硫黄の燃える池の中にある。」(黙示録21章8節)

神の救い

けれども、神は同時にあなたを愛しておられ、罪を赦し、天国に迎え入れたいと心から願ってくださっています。そのために、神の方から救い主を与えてくださいました。その救い主こそ神の御子イエス・キリストです。イエス様は天におられた御子なる神が人となって来てくださった御方です。そして神は、私たちが受けるべき全ての罪に対するさばきを、十字架上のイエス様の上に負わせてくださったのです。

人間が好き勝手に生き、その中で犯した罪のための償いを、驚くべきことに神が代わりになしてくださったのです。さらに神は、イエス・キリストこそ信じる者に罪の赦しと永遠のいのちを与えてくださる救い主であり、また同時にやがて世界をおさばきになる裁き主であられることを証しするために、死後三日目にキリストをよみがえらせてくださったのです。これを聞いて、「アレオパゴスの裁判官ディオヌシオ」つまり、証拠を分析して判断を下すのに長けた人物が、信じるに値するメッセージだと受け入れたのです。

あなたも、ぜひ神の前に罪を認め、救い主イエス・キリストを受け入れてください。そうすれば、神はあなたの全ての罪を赦してくださいます。そして、あなたは神とともに人生を歩み、人生を終えた後には天国に迎え入れて頂けるのです。