津久野キリスト恵み教会

ふくいん77号 -2023.5-

アイザック・ニュートン(数学者・物理学者、「万有引力の法則」や「微積分法」等)

「いかなる世界の歴史におけるよりも、聖書の中にはより確かな真理が存する。」


ジョン・フレミング(物理学者、「フレミングの左手の法則」等)

「四つの福音書にあるこれらの出来事(キリストの復活とその他の奇跡)の記録を研究してみなさい。そうすれば、あなたは確証済みの科学的事実や科学の原理の中には、何一つ、奇跡を信じることを妨げるものはない、ということがわかるであろう。」


トーマス・エジソン(発明家、「白熱電球」や「蓄音器」等)

「聖書は単なる本にすぎませんが、神の御霊によって霊感されている聖書の各ページを、神の義と愛とが、プラス・マイナス二つの電流のように流れ、キリストの十字架で合流しています。聖書だけが、私たちに救い主を示してくれます。」



信仰とは

ある日曜学校の先生が、「信仰とは何ですか」と尋ねました。すると、ある少年が「本当ではないと知っていながら信じること」と答えたそうです。同じように、多くの人が信仰と聞くと、理性的ではない迷信的なもの、良くても心の拠り所くらいに考えています。しかし、上記の著名な人々をはじめ、多くの学者たちや理性的な人々が神の御存在を認め、聖書が神のことばであると信じてきました。そこで、ぜひあなたにも、造り主である神がおられることを知ってほしいと思います。

神を知る

「神を見せてくれたら信じる」と言う人がいますが、その方法では、あなたは徳川家康がいたことも、ナポレオンがいたことも信じることはできません。しかし、彼らが事実存在していたことは、様々な記録、また彼らがいなければ起こり得なかった出来事を通して知ることができます。同様に、神がおられることは、神が存在しなければあり得ない物事を通して知ることができるのです。


① 非常に複雑な体の仕組みを持った人間や生き物の存在

どう見ても、人体がとてつもなく複雑に、精密にできていることは認めざるを得ない事実です。これら全てが自然界の偶然の積み重ねでできたというのは、理性的な結論とは言えません。設計者、造り主の存在を認めるべきです。

② 人間の内にある共通した道徳心

世界中の文化や背景が違う人々の間にも、共通した道徳心があります。たとえば、弱者を虐げること、偽りを言うことは非難され、自己犠牲的な精神、誠実さは称賛の対象となります。しかし、進化論が正しいなら、弱肉強食が生存競争に勝つ方法であり、自己犠牲は最も不利な選択です。では、これらの道徳心はどこから来たのでしょうか。造り主である神が愛と哀れみに満ち、同時に正義をお持ちの方であることから来ているのです。

③ 聖書

今まで聖書ほど多くの人々に読まれ、その人生を変えてきた書物はありません。そして、その中には何百年も先のことに関する詳細な預言が書かれており、それらがその通り成就してきました。預言者たちを導いて、聖書を書かせられた神の存在なくして聖書は書かれ得ませんでした。

神を認める

人間は誰でも、神がおられることを認めるべきです。そして、造り主である神の御存在を認めることは、あなたの人生に対する見方を大きく変えることになるはずです。つまり、あなたは偶然に発生した生き物からできたのではなく、目的を持って造られた存在であるということです。あなたは、神に愛され、その神をあなたも愛し、神の栄光を現して生きるために造られたのです。

しかし、同時に神の御存在を認めるなら、あなたは今まで神に生かされていながら「神を神としてあがめず、感謝もせず」(ローマ 1章21節)に生きてきたことが間違いであり、罪であったことをも認めなければなりません。あなたは、聖なる神の前に、多くの罪(偶像礼拝・嘘・悪口・心の中の悪い考え)を犯してきた罪人として立たなければならないのです。

神のさばき

神はあなたの罪に対して怒っておられ、今のままならば死後に永遠に火の燃える地獄であなたをさばかれます。
「人間には、一度死ぬことと、死後にさばきを受けることが定まっている」(へブル 9章27節)

ですから、ぜひ罪の赦しと救いを神に求めてください。神は、正しい御方ですから、罪に対するさばきなしに、罪をなかったことにすることはおできになりません。

神の救い

だからこそ、神はあなたの罪を赦すために御自分の御子イエス・キリストを救い主として地上に遣わしてくださったのです。そして、罪のない聖なる御方であるキリストが、あなたに代わって全ての罪のさばきを受けるために十字架で死んでくださいました。

神は十字架で死なれたキリストを三日目によみがえらせなさり、この御方こそ私たちを救うことができる方であることを明らかにしてくださいました。

あなたが、罪を認めて、この救い主イエス・キリストを自分の神として、救い主として信じ受け入れることを心から願います。そうするなら、神はあなたの全ての罪を赦し、たとえあなたが人生を終えても永遠の天国に迎え入れてくださいます。そして、あなたが神に立ち返る時に、神と共に生きる、永遠に続く目的と望みのある人生があるのです。

「主を求めよ、お会いできる間に。呼び求めよ、近くにおられるうちに。」(イザヤ書 55章6節)