津久野キリスト恵み教会

ふくいん42号 -2011.4-

スプリング・バック

アフリカ南部のカラハリ砂漠に、スプリング・バックという鹿に似た動物が住んでいます。今は数が減っているのですが、かつては数万頭の大群を造ることがありました。集まって体を寄せ合った彼らは徐々に前に進みながら、途中にある草を食べ尽くしていきます。われ先に前の方にもぐり込んで草にありつこうとしますが、天敵の襲撃を恐れて、群れから離れようとはしません。そしてせり合いが激しくなり、段々スピードがついてしまうのです。前のものが走れば、後のものが追いかけ、ついに何万頭という群れが全速力で走り出すのです。やがて目的をすっかり忘れて、ひたすら前へ前へと突っ走ります。そして、ついに海岸に出ます。しかし、前の方にいるものは後から来たものに押されて止まれず、どっと海中になだれ落ちていき、やがて海岸はあわれなスプリング・バックの死体で一杯になるのだそうです。

忙しい 忙しい 忙しい

何とも不思議なことに思いますが、これは人間にとっても他人事ではありません。多くの人は人間にとって最も大切なこと、「自分はなぜ存在しているのか」・「一体どこに向かっているのか」という問いの答えを知ることもなしに、食を得るために忙しい毎日を過ごしています。そして「まだ若すぎる」・「今は忙しすぎる」・「もう年を取り過ぎた」と言って、結局立ち止まって答えを見つけることもなしに人生を終えるのです。しかし、その先には何が待っているのでしょうか。ぜひとも少し足を止めて、ご自分の永遠の行き先について考えてください。

何のために どこに向かって

私たちは第一に、人間を造ってくださった神様がご存在されるということを知らなくてはなりません。私たちの身体は、決して偶然の産物ではありません。人間や動物の身体には、非常によくできた仕組みがあります。生きて行くために必要なあらゆる機能が、あるべきところに備えられているのです。知恵ある設計者なしにはこのような仕組みはできません。

そして神様は、私たち人間をご自分の愛の対象として造ってくださったのであり、私たちの使命は神様を喜んで礼拝することであったのです。誰ひとり、意味なく存在している人はいないのです。

しかし、ではなぜ多くの人が生きる意味も分からず、また悲惨な人生を送っているのでしょうか。それは人間が神様を無視して、自分勝手な生き方をするようになったからです。何と多くの人が、「神などいない」・「神など自分とは関係がない」と考えて好き勝手な人生を生きていることでしょうか。それは造り主である神様を馬鹿にすることであり、大きな罪です。また人間は嘘をつき、他人をねたみ、中傷し、様々な罪を犯しています。聖なる神様の怒りは、人間の罪に対して燃え上がっているのです。それゆえ、人は死んだ後で必ず罪のさばきを受けなければなりません。それは、火の燃えている地獄での永遠の刑罰なのです。

「というのは、不義をもって真理をはばんでいる人々のあらゆる不敬虔(=神様を恐れないこと)と不正に対して、神の怒りが天から啓示されているからです。」(ローマ人への手紙 1章18節)

天国への道

しかし、神様は罪を憎まれる聖なる方であると同時に、あわれみ深く、愛なる御方です。ですから人間に罪のゆるしを与えて、天国に迎え入れたいと願っておられるのです。そのために、神様は愛するひとり子のイエス・キリストを世に遣わしてくださいました。イエス様は人となってこの地上に生まれてくださり、三十数歳の時に十字架にかかって死んでくださいました。そして私たちの身代わりに、その十字架の上で罪の刑罰を全て受けてくださったのです。私たちに対するさばきは、もう十字架上のイエス様の上にくだされてしまったのです。

イエス様は死なれた後、三日目の日曜日の朝によみがえられました。そして多くの弟子たちの前に、復活されたご自分をお見せになった後、天に帰って行かれました。それまで恐れていた弟子たちが、イエス様の復活の後、大胆に命がけでイエス様の十字架の死と復活を伝え始めました。その結果、今では世界中にクリスチャンがいるのです。イエス様の十字架の死と復活は、歴史上実際に起こった事実なのです。誰でも、このイエス様を救い主として信じ受け入れるならば、罪がゆるされて永遠の神の御国に入ることができると神様は約束してくださっています。

信じて下さい!

あなたは、ご自分の存在の目的・どこに向かっているのかという問いに対する答えを得られたでしょうか。もし、神様から離れて生き続けるならば、その先に待つのは恐ろしい永遠のさばきです。しかし、今ならまだ神様に立ち返ることができます。ぜひともイエス様を受け入れて、神の御国に迎えられる方となってください。