津久野キリスト恵み教会

ふくいん41号 -2010.11-

あぁ、虚しいっ!

今年もクリスマスシーズンが近づいて来ました。そしてクリスマスが終わるとすぐに年末を迎えます。そこで皆さまに考えていただきたいのです。皆さまは「もう今年も終わりか」と考える時に、ふと自分の人生に虚しさを感じることはないでしょうか。一年間自分のやりたいことをやったのならば、あるいは努力して目的を達成したのならば、そこに満足感があるはずなのに、それよりも空虚感の方が大きいと感じることがあると思うのです。

これは一年の終わりだけではなく、人生のあらゆる場面で感じることではないでしょうか。楽しいことを経験しても、何かを追求して努力しても、ふとした瞬間に何とも言えない虚しさを感じることがあると思います。口に出す人は少なくてもだれもが日々感じているはずです。

何が原因でしょうか?

それは、私たちを造られた真の神から離れ、神なき人生を送っているからです。実に私たちは天地の創造主であられる神の愛の対象として造られたのです。ですから本来人間は神をあがめて、このお方の愛と恵みに感謝して生きるべき存在なのです。このお方こそ私たちの心を満たし、人生を豊かにし、本当の幸せを与えてくださるのです。

しかし、人間は実在の神を認めず、無神論を唱え、神との関わりを求めずに生きています。ですから聖書に、「彼らは、神を知っていながらその神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなったからです」と書いてある通り、神から離れ、神なき人生を送っているので、楽しいことをやっても結局心は暗くなり、虚しくなるのです。

さらに、神から離れた人間は存在の意義を失い、自分の欲望を満たすことだけを考えて生きるようになってしまったのです。そして木や石で作られた偽の神々を拝むようになり、性的不道徳を追い求め、人として、してはならない恥ずべき罪を平気で犯すようになってしまったのです。その生き方そのものが誤りであるのです。聖書を見ると罪とは的外れを意味します。神から離れて生きること自体が大変な罪なのです。

その報いとは何でしょうか?

神から離れた人間にふさわしい報いは死であり、死後のさばきです。聖書にこう書いてあります。

「罪から来る報酬は死です。」

「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている」

このように、神なき人生は、その人の一生を罪深く虚しいものにするだけではなく、死後の永遠をも悲惨なものにしてしまうのです。それは永遠の地獄でのさばきです。そこに行くのは悪魔や悪霊たちですが、皆さまも今のまま神なき人生を送られるならば、いくら燃えても燃え尽きることのない火の池で永遠の苦しみを受けなければならないのです。

しかし、救いがあります。

もし今、皆さまの心に空虚感があり、たましいに満足がないならば、それは神が気づかせておられるのです。実に良いチャンスです。神なき人生の誤りを認めて神に立ち返ってください。神は皆さまにすばらしい救いをあたえるために驚くべきことをしてくださいました。

今から約二千年前、神はご自分の御子であるイエス・キリストをこの世に遣わされ、十字架にはりつけにしてくださいました。そのキリストの十字架にこそ人間を救うための神のご計画があったのです。すなわち、イエス・キリストが全人類の罪を背負って身代わりとなり、罪の刑罰を受けてくださったのです。

神は皆さまを地獄に行かせたくないがゆえに、愛する御子を十字架に架けて犠牲にしてくださいました。そして神は、キリストの十字架によってさばきがすべて終わったことを示すためにキリストを死後三日目によみがえらせてくださいました。

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」

なんと大きな愛でしょうか。神は皆さまが地獄で滅びることを望んではおられません。永遠のいのちを持って天国に入ることを望んでおられます。

この救いを受け入れてください

神はイエス・キリストを自分の救い主として信じ受け入れる者を救ってくださいます。ですからどうか、この新聞を読んでくださった皆さまも、自分の生き方が神に逆らう的外れな生き方であることをお認めになってください。そしてこのまま行けば死後、永遠の地獄に行くべき罪人であることを神の前にお認めになり、イエス・キリストを信じ受け入れてください。そうすれば神は皆さまの罪をすべて赦し、永遠の天国に入れてくださいます。そして天国に行くまでの地上の人生も暗闇から光へ、虚しさから希望へと変えてくださるのです。

どうか、一年の終わりが近づいている今、立ち止まって真剣にお考えください。

「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また『何の喜びもない』と言う年月が近づく前に。」─聖書─

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