津久野キリスト恵み教会

ふくいん44号 -2011.11-

重大な精算

以前、あるスポーツ選手がスーパーの商品を手に取って、お金を払わずに外に出ようとし、それを警備員に見つかって拘束されたことがありました。彼にも理由があったようで、その時は後からお金を払って、警察沙汰にはならずに済んだそうです。しかし、お金を払わずに商品を持ち出したら、止められるのは当然です。私たちは、買い物をする時に何を手に取っても自由ですし、好きなだけ買い物かごに入れることもできます。しかし、最後に必ずレジで精算をしなければいけません。皆様にとってこれは当たり前のことでしょう。しかし、皆様は自分と関係のある、重大な精算があることを知っておられるでしょうか。それは、人間をお造りになった神様の前で、生きている間に犯した全ての罪の清算をしなければならないということです。神のことばである聖書には、こう書かれています。

「造られたもので、神の前で隠れおおせるものは何一つなく、神の目には、すべてが裸であり、さらけ出されています。私たちはこの神に対して弁明をするのです。」(ヘブル人への手紙 4章13節)

「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている」(ヘブル人への手紙 9章27節)

中には、「いや、神などいない。だから恐れることなどない」という人もいるでしょう。確かに、もし人間を造られた神様がおられないなら、人間が何をしても、それを見ておられる御方もいないことになります。しかし、神様がご存在されることは明らかです。皆様は、人間や動物の身体の仕組みを見て、それが余りにもよくできていることに驚かれたことはないでしょうか。地球上で最も簡単な部類の単細胞の生物でさえ、実は非常に複雑な仕組みを持っており、いくつもの部分がうまく働いて生きているのです。どんな小さな生物でも、偶然にできるほど簡単ではないのです。明らかに、それを設計して造られた神様がおられます。その神様が人間をも造ってくださったのです。

人生の「精算」

では皆様は、その神様の前でどのようなことを行なって来たでしょうか。嘘をついたり、誰かを憎んだり、悪いことを考えたことはないでしょうか。また、人の悪口や陰口を言ったり、争ったりしたことはないでしょうか。また何よりも、人間を造ってくださった神様を無視して、自分の好き勝手に生きて来たのではないでしょうか。それらは、きよく正しい神様の前では、さばかれなければならない罪です。その罪のゆえに、皆様は死後に、火の燃える永遠の地獄に投げ込まれなくてはならないのです。何と恐ろしいことでしょうか。聖書の中で、イエス・キリストはこのように語っておられます。

「恐れなければならない方を、あなたがたに教えてあげましょう。殺したあとで、ゲヘナ(=地獄)に投げ込む権威を持っておられる方を恐れなさい。」(ルカの福音書 12章5節)

完全な罪の「清算」

神様は正しい方ですから、罪を犯して神様に逆らう人間を、そのままでさばかずにおくことはおできになりません。しかし、神様は同時に私たち人間を愛してくださっているのです。愛する者が、苦しむ姿を見たいと願う人はいません。同じように神様も、人間が地獄で苦しむのではなく、神様のおられる天国に来るようにと願っておられます。ですから、神様は私たちの罪をゆるすために、救い主を地上に送ってくださいました。その救い主こそ、神の御子イエス・キリストです。天におられた罪のない神の御子が、人となってこの地上に生まれてくださったのです。そしてイエス様は、私たちが受けるべき罪の刑罰を全て身代わりに受けるために、十字架にかかって死んでくださいました。

「キリストも一度罪のために死なれました。正しい方が悪い人々の身代わりとなったのです。」(ペテロの手紙第一 3章18節)

本来なら、私たちが永遠の地獄で刑罰を受けることによって、罪の清算をしなければなりませんでした。しかし、イエス様が身代わりとなって、さばかれることによって罪の清算を終わらせてくださったのです。何と感謝なことでしょう!

イエス様は死なれた後、三日目の日曜日の朝によみがえられ、多くの弟子たちの前にご自分の姿をお見せになり、ご自身が救い主であることを証明してくださいました。誰でも、このイエス様を救い主として信じ受け入れるならば、地獄ではなく、永遠の神の御国に入ることができると神様は約束してくださっています。

皆様は生きているしばらくの間は、何でも好きなことができるでしょう。また、罪を犯しても恐れることはないと思うかもしれません。しかし、人間には必ず死がやってきます。そして最後に恐ろしい罪の精算があることを忘れないでください。ですから、ぜひともイエス様を受け入れて、罪をゆるしていただき、天国に入る方となってください。皆様が救いを受け取られることを、心から願っています。