チャールズ・ロバート・ダーウィンは、1809年イギリス生まれのの自然科学者です。彼は進化論の提唱者として知られています。

ダーウィンの父はイギリス西部のシルスベリの富裕な医者でした。ダーウィンはエジンバラ大学医学部に入学したものの博物学に興味を持ち大学の付属博物館にこもったり、海産動物の収集に出かけたりしていました。彼は入学後エジンバラを中退し、ケンブリッジ大学の神学部に入学、牧師になることを目指しました。しかし、卒業後彼はビーグル号の航海(1831~1836年)に博物学者として参加し、ブラジルやアルゼンチンの海岸、チリやペルーの島々などを測量するために世界一周の航海に出ました。
ダーウィンは主にカメノテとかフジツボとかを研究する博物学者でビーグル号の航海をしていたときには進化と言う考え方を否定していました。彼はこの頃までは正当なキリスト信仰を持った者であると、見なされていました。しかし、それは心からのものではありませんでした。ダーウィンは航海の間、主に地質学の研究をしていましたが、動植物の標本を大量に持ち帰りました。その標本は、色々な専門家によって調査され、その調査の結果を見てダーウィンは種の変化を信じるようになったのでした。
ダーウィンの進化論は生物学だけから生まれたのではなく、当時の世の中の思想から影響を受けて生まれたものです。
ダーウィンはその著書「自伝」でマルサスの「人口論」を読んで自然選択説が誕生したと述べています。マルサスは「人口は抑止されなければ等比数列的(倍倍)に増加する。生活資料は等差数列的(徐々)にしか増加しない」と述べ、そのために、全ての人に生活資料がいきわたることはなく、貧困や悪徳を排除することは不可能であるとしました。その考えの影響で全ての生き物は必ず「生存闘争」するのだと考えるようになったのでした。
また、ダーウィンは産業革命期のイギリスにあって、自由放任と分業と言う資本主義にしたがって発展してきた資本家のウェジウッド家と深いつながりのある人物でした。彼は世界の最強国イギリスで十分な教育を受け、日々の糧のために働く必要の無い生活を送っていました。そのため、彼は個人についても集団についても、生存闘争の結果、知的に優れたものが勝ち残り、それによって人類が進歩すると言うような思想を持つようになっていったのでした。
