津久野キリスト恵み教会

ふくいん47号 -2012.11-

愚かな金持ち

「ある金持ちの畑が豊作であった。それで、彼は心の中で、『どうしようか。私の収穫物を蓄える場所がない。』と言った。そして、『このようにしよう。わたしの幾つかある倉を取り壊そう。そして、一層大きな倉を幾つか建てよう。そしてそこにわたしの穀物と財宝を全て集めよう。 そして自分のたましいに言おう。「たましいよ。お前は、これから後の長年のための、莫大な蓄財を持っているのだ。安心せよ。食べて飲んで、楽しみ続けよ。」』と言った。しかし、神は彼に、『愚か者よ。今夜、お前のたましいはお前から取り去られるのだ。そうしたら、お前が用意した物はだれのものになるのか。』と言われた。 自分のために宝を蓄えているが、神に対して貧しい者は、このようである。」
(ルカの福音書12章16節~21節)

これはイエス・キリストがお語りになった、たとえ話です。この話に出て来る金持ちは、先のことを考えて計画を立てることができる先見の明がある人であり、仕事もできる人でした。ところが、神様は彼に対して「愚か者」と言われたのです。なぜ彼がそう言われなければならなかったのかという理由は、実はあなたにも関係があることなのです。ぜひ、あなたにも、自分が「愚か者」でないかを考えていただきたいのです。

なぜ金持ちは愚か者と言われたのでしょうか。

理由①「彼は全てのものを自分で手に入れた、自分の所有物だと思っていた。」

彼の考えの中には、彼に命を与えて生かしてくださっている神様についての考えが全くありませんでした。事実、彼は収穫物、財産、そして自分のたましいについても「わたしの(自分の)」ものだと語ったのです。今の時代の多くの人も同じように、「神など私とは関係ない。」、「これは私の人生だ。自分の好き勝手に生きて何が悪い。」と思っています。しかし、人間の身体をよく見てください。それは、どれだけ長い時間をかけても偶然にできるような簡単なものではありません。神様が人間を造ってくださり、また必要な水や空気、太陽を与えて生かしてくださっていることは明らかです。それにも関わらず、それらを利用して生きていながら神様を無視するのは、大きな間違いであり、神様に対する罪です。聖書にこう書かれています。

「愚か者は心の中で、『神はいない。』と言っている。」(詩篇14篇1節)

理由②「彼は生きている間のことしか考えていなかった。」

彼は確かに先のことを考えていましたが、それは生きている間のことだけでした。彼は、人間が必ず死ぬこと、死ねば全てを置いて行かなければならないこと、そして死後に神様の前に立たなければならないことを何も考えていなかったのです。同じように今も多くの人は、「今をどうやって楽しく生きようか。」、「老後をどうしようか。」とは言いますが、死と死後の行き先については何も考えていないのです。しかし、人間は死んで終わりではありません。死んだ後で、生きている間に犯した全ての罪に対する恐ろしい刑罰があるのです。

「そして、人間には一度死ぬことと、その後、さばきが定められている」(ヘブル人への手紙9章27節)

あなた自身はどうでしょうか?

さて、あなたはイエス様が語られた「愚か者」に当てはまらないでしょうか。もしあなたが、神様を恐れずに自分の思うままに生きており、死後の行き先について何の備えもしていないなら、あなたはあの金持ちと同じ「愚か者」だと言わなければなりません。たとえあなたに地位や身分があり、豊かな才能があり、財産や楽しみがあっても、あなたは「神に対して貧しい」のです。あなたも必ず最後は死ななければならず、自分が犯した罪の罰を受けるために永遠の地獄に投げ込まれなければなりません。神様は罪を憎まれる聖なる御方だからです。

神の恵み、キリストの愛

しかし、神様はあなたを地獄に行かせたいとは決して思っておられないのです。むしろ、あなたを天国に迎え入れたいと願ってくださっています。だからこそ、あなたが愚か者にならないように、聖書を通して語ってくださっているのです。神様は私たち人間を愛して、私たちの罪を赦すためにご自分のひとり子を救い主として遣わしてくださいました。その救い主こそ、人となられた神の御子イエス・キリスト様です。そして神様は、イエス様を十字架につけてくださり、私たちが受けるべき罪の刑罰を全て身代わりにイエス様に受けさせてくださいました。神様は私たちのために、愛するひとり子を死に渡してくださったのです。何と大きな愛でしょう。そして、イエス様を死後三日目によみがえらせてくださり、イエス様こそまことの救い主であり、神の御子であられることを明らかにしてくださいました。誰でも、自分が本来さばかれるべき罪人であることを認めた上で、イエス・キリストを救い主として信じるならば罪が赦されて天国に入ることができるのです。

ですので、本当に賢い者とは、イエス・キリストを信じて確かな死後の備えを持つ人です。そして、いつ死んだとしても、永遠の天国で神様と共に生きることができる人こそ、神の前に富んでいる人なのです。ですから、どうかあなたもイエス・キリストを信じて天国に迎え入れられる方であってくださいますように、心から願っています。

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネの福音書 3章16節)