津久野キリスト恵み教会

ふくいん49号 -2013.10-

偶然か 創造か

ほとんどの人は、神の存在を信じたい人は信じればよい、信じたくない人は信じなくてもよいと思っているように見えます。しかし、その考えは非常に誤っているのです。たとえば、ある人のからだの具合が悪くなったとします。それでその人は病院に診察を受けにいきました。その人を診た医者は、その人が、がんにかかっていると入念に調べた後に診断しました。その医者は、患部から一部取り出して調べたところ、がん細胞を見付けたのでそのように診断したのです。それで、その人は、その医者の診断に従って治療を受けるべきであるのです。ところが、ある人がそれを聞いてその人に、「あなたはそんな診断を信じなくてもよい。がんと思うからがんになるのであって、がんと思わなければがんにならない。」と言ったとしたら、そのようなことを言った人は、非常に無責任な人であると思われないでしょうか。この病人が自分はがんにかかっていないとどのように強く思い込んでも、がんがなくなることはありません。

それと同様に、人がどのように強く神の存在を否定しても、神が存在しなくなることはありません。ではどのようにして神の存在を証明するのかが非常に大切な問題となります。そこで一つの例話でこの問題を考えてみましょう。

あなたが数名の仲間と一緒に、人里から非常に遠く離れた山奥に数日かけて入って行ったとします。ある谷間の広い野原に来たとき、そこに立派な家が一軒建っているのを見たとします。すると全ての人の頭に、「いったい誰がこのようにへんぴな所にこんな立派な家を建てたのだろう。何の目的で?どうやって?」という興味が湧いてくるはずです。誰の頭の中にも「よくこんな立派な家が偶然に、勝手に、自然に地中から出て来たものだ!」という考えは出て来ないはずです。その家があるということ自体がその家を設計し、建てた人が存在することの証明です。なぜならば家は決して偶然にできることはないからです。

さて、地球の上に数多くの植物、動物、そして人間が生きています。これらが神によって造られずに、偶然にできたと誰が考えるでしょうか。家でさえ偶然にできないなら、まして植物、動物、人間が偶然にできることは決してありません。

生物学上で公認されている事実は、「生命は自然発生しない」ということと「獲得形質は遺伝しない」ということです。生命が自然発生せず、獲得形質が遺伝しないならば、植物も動物も進化しないのです。すなわち進化論とは、「生命が自然発生したのであろう。そして獲得形質が長い、長い時間をかけて遺伝したのであろう」という人間の空想に過ぎないのです。そして、その空想を基礎として建てられている哲学が無神論哲学であるのです。すなわち無神論は進化論という空想の盲信であるのです。

もしあなたが、進化論が正しいと思って神の実在を認めておられないならば、あなたはこの空論に自分の死後の永遠の運命を賭けておられるのです。それで私たちは心からあなたに、「もう一度自然界を見てください。動物、植物、そして人間がどこから来たのかを考えてください」と勧めます。  絶対者でいます神の存在を認めるためにいろいろの障害があること、たとえばなぜ天災と呼ばれる悲劇があるのか、もし神が存在するならばなぜそれらを防がないのか、等という疑問が浮かぶことは事実です。けれども、それらは神の存在を認めない理由にはなりません。なぜなら、それらは絶対者でいます神の存在を認めるなら解決できる問題だからです。それだけではなく、もし神の存在を認めないならば、人は重大な悲劇を招くのです。

もしあなたが神の存在を否定するならば、あなたの人生に目的も希望もなくなります。あなたは偶然に生まれた偶然の産物であり、目的もなく無意味な人生を生きて行かなければならないのです。そして、あなたには、死後にどこに行くのかという未解決の問題があるのです。全ての人は決して唯物論者にはなれないのです。そして、死後に、生きていた間に犯した罪に対するさばきがないと賭けて死んで行かなければならないのです。

1700年代に活躍したフランスの哲学者であり政治家であったヴォルテールは数々の名言を残した人であり、1700年代の終わりにあったフランス革命の後ろ盾でもあったのです。しかし、この人はまことの神を知らない人であったのです。彼の死は悲劇でした。彼を看病した看護師は、二度と無神論者の死に立ち会いたくないと言いました。人間を創造し、愛しておられる神は全ての人に、ご自分の存在を色々の方法で知らせておられるのです。

創造主なる神は実在します。あなたがどのように言おうが神はご存在されます。そして犯した罪は必ずさばかれます。神は聖書の中で、

「そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている」(へブル人への手紙9章27節)

と警告しておられます。

生きている間に神と和解せずに死ぬことは人間にとって最大の悲劇です。なぜなら死後に永遠のゲヘナ(地獄)においてさばかれなければならないからです。しかし、神は私たちのために神の御国において永遠に生きる道も備えておられます。それは、私たちを救うために十字架の上で私たち罪人の身代わりとなって死んでくださり、死後3日目に復活された神の御子イエス・キリストを救い主として認め、主イエスを自分の救い主として心の中に受け入れることです。これが神がお与えくださった私たちのための唯一の救いの道です。

キリストの十字架上の死は歴史的事実であり、復活も歴史的事実です。この事実によって神の実在は証され、また神の私たちへの愛も証されました。それで無神論を唱える余地はなく、無意味な希望のない人生を生きる必要はないのです。どうか正しく福音を宣べ伝えている当教会に来て、詳しくキリストの福音をお聞きくださるように心からお勧めします。