津久野キリスト恵み教会

ふくいん52号 -2014.10-

初めから備わっている完全な機能

先日、私の使っていた携帯電話が故障して電源も入らなくなってしまいました。恐らく中の部品のどれかに不具合があったのだと思います。様々な機械には精密な設計があり、全体が正常に動いてはじめて目的通りの機能を果たします。もし重要な部分が一つでも動かなければ、あるいは欠落していれば、全体として全く機能しなくなります。

実はこのことは生物にも言えることです。多くの生き物の体の仕組み、また生活の仕方は、最初から全ての機能が完全な形で備わっていてはじめて成り立つものです。もしどれか一つでも未完成な部分があれば、全体として意味がなくなってしまうのです。

さて、神様のご存在を認めようとせず、多種多様な生物は自然界で生命が偶然に発生し、環境に応じて進化した結果できたのだという人たちがいます。そしてそれは非常に長い時間をかけて、成し遂げられたと言います。しかし、多くの生き物が、全ての部分がそろっていてこそ見事に機能する精密な設計図を持っているということは、その考えが間違いであることを証明しています。つまり、生物は最初から完全な機能を持って存在していたということです。

精密な設計

たとえば、アゲハチョウは青虫からサナギになり、そして綺麗な羽を持った蝶へと姿を変えて行きます。もし仮に、ある虫がある時に器用に糸を出して枝にぶら下がり、さらに殻で自分の体を覆ってサナギになることに成功したとします(それだけでも驚きですが)。しかし、どうやって殻の中で体を溶解させて変形することができるでしょう。また、羽というものを全く知らない最初の一匹のサナギが、どうやって小さい殻の中で折りたたまれた形の羽を作ることができるでしょう。また、初めて殻の中に入ったのに、いつ殻を破って出てくればよいのかをどうして知ることができるでしょう(アゲハチョウは一年に何度か産卵時期がありますが、冬前にサナギになったものは、越冬するために他の季節のものよりも長い期間サナギの状態にとどまり、暖かくなってから出てきます)。また、歴史上最初の成虫が、自分のエサがもう葉っぱではなくて花の蜜になったということをどうやって知るのでしょう。そして、それを最初から知っていなければ、どうしてストローを持つようになるはずがあるでしょう。これらの内の一つでも欠けていれば、青虫がサナギになるのは進化ではなくて自滅行為になります。つまり、これらの機能や本能を徐々に獲得していったのでは全く意味がなく、最初からこれらを知っており、またそれにふさわしい機能を備えていなければならないのです。

これは様々な生き物が持つ精密な設計のほんの一例にすぎません。しかし、これら全てが「長い時間をかけて」「数え切れないチャレンジの結果」できたというのは人間の空想に過ぎません。それぞれの生き物には最初から完全な設計図が与えられていたという方がはるかに理にかなっています。聖書にはこう書かれています。

「家はそれぞれ、だれかが建てるのですが、すべてのものを造られた方は、神です。」(ヘブル 3章4節)

家に設計図があるように、神様がそれぞれの生き物に、その生活スタイルに応じた設計図をお与えになったのです。そして、人間もこの神様によって造られたのです。

創造主に対する反抗

さて、神様は人間には他の生き物にはないものをお与えになりました。それは、道徳心また良心です。皆さまは何か悪いことをした時に誰かに知られているような恐れを感じたり、心が痛んだりしたことがないでしょうか。もし人間が動物から進化したなら、強いものが弱いものを踏みつけて生き残っていくのは自然界の法則だといって気にすることもないはずです。しかし、私たちは弱い人を痛めつけると心が痛みますし、不道徳なことを行うと心が責められます。それは神様が聖なる御方であられ、人はその神様によって造られたからです。しかし、人間は神様の御目の前にどれほどの罪を犯しているでしょうか。

「内側から、すなわち、人の心から出て来るものは、悪い考え、不品行、盗み、殺人、姦淫、貪欲、よこしま、欺き、好色、ねたみ、そしり、高ぶり、愚かさであり、これらの悪はみな、内側から出て、人を汚すのです。」(マルコ 7章21~23節)

神様はこれらの罪に対して怒っておられます。それゆえ、人間は死後に火の燃える地獄で罪の刑罰を受けなければなりません。

「しかし、おくびょう者、不信仰の者、憎むべき者、人を殺す者、不品行の者、魔術を行う者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者どもの受ける分は、火と硫黄との燃える池の中にある。これが第二の死である。」(黙示録 21章8節)

人間に示された救い

しかし、神様は罪の深みに陥っている人間をなおあわれんでおられます。親がおぼれる子どもを助けようとするように、神様は私たちのために救いを用意してくださいました。今から2000年ほど前、紀元30年にイエス・キリストが十字架につけられて死なれました。イエス・キリストこそ、天から遣わされた救い主であられ、罪のない神の御子が人となられた御方です。イエス様は罪の中でおぼれる罪人を救うために、ご自身が人となって人間の世界に入って来てくださいました。そして全く罪のない御方であられたのに、最後に十字架につけられて死んでくださいました。その十字架の死は、私たち人間が受けるべき罪の罰を身代わりに受けるためでした。イエス様は十字架で死なれた後、三日目によみがえられ、ご自身こそまことの救い主であられることを証明してくださいました。誰でもこのイエス・キリスト様を救い主として信じる者は、全ての罪が赦され、天国に迎えられます。

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ 3章16節)

ぜひ、あなたもイエス様を信じて、神様のおられる天国に帰ることができる方となってください。この神様の御愛と恵みを無駄にしないようにしてください。