津久野キリスト恵み教会

ふくいん54号 -2015.4-

他に類を見ない書物・聖書

聖書は世界のベストセラーと言われる本です。累計発行部数は約六十億冊(数え方によっては三八八〇億冊)、翻訳された言語の数は約二五〇〇(二〇一二年時点)にもなります。今までに最も多くの人々に読まれ、また世界に多大な影響を与えてきた書物であることは誰もが認めるところです。

しかし、聖書が一体何を語っているのかということは、意外と知られていません。そこで、この冊子をお読みの皆様にぜひ、聖書が語っている最も大切なメッセージをお伝えしたいと思います。なぜなら、それはあなたにとっても間違いなく最も重要なメッセージであるからです。

神様と人間

聖書は、「初めに、神が天と地を創造した。」(創世記1章1節)という一節で始まります。つまり、この世界を造られ、人間をも造ってくださった神様が御存在されることは大前提として書かれているのです。そして、そのことは人間に明らかであると聖書は語っています。

「天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる。」(詩篇19篇1節)

「神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。」(ローマ1章20節)

神様は目には見えませんが、神様によって造られた壮大な天体や、すばらしい体の機能を持った動植物が私たちの周りには数多く存在しています。それらを見るなら、創造主である神様がおられることは明らかです。

たとえば、ある生き物の体の仕組みは、複数の箇所が完全な形で同時に機能しないと意味をなさないものです(蝶の変態など)。ですから、生物が長い時間をかけて徐々に進化して今のようになったというのは大きな間違いです。生物は最初から完全な機能を持ったものとして神様によって造られたのです。そして、神様は理性を持った特別な存在として人間を造ってくださり、ご自身との親しい交わりの中を歩ませようとしてくださいました。

堕落しきっている人間

しかし、人間は神様に逆らい、罪の中を生きるようになってしまいました。そして、人生の中で多くの罪を犯しています。

「義人(正しい人)はいない。ひとりもいない。」(ローマ3章10節)

「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず」(ローマ3章23節)

「内側から、すなわち、人の心から出て来るものは、悪い考え、不品行、盗み、殺人、姦淫、貪欲、よこしま、欺き、好色、ねたみ、そしり、高ぶり、愚かさであり、これらの悪はみな、内側から出て、人を汚すのです。」(マルコ7章21~23節)

人間の目から見れば、正しくて立派に見える人もいるでしょう。しかし、神様は人間の心の中の悪い考えや隠れた所で行ったことも、すべてをご存知です。また、神様は人間よりはるかに高い正しさの基準に従って罪を見ておられます。

この世界の最も偉大だと思える人でさえ、神様の前には真っ黒な罪人です。

「私たちの義(正しい行い)はみな、不潔な着物のようです。」(イザヤ64章6節)

罪に対する刑罰・地獄

神様は聖なる御方ですから、罪をさばかずにおくことはおできになりません。聖書は人間の死後に罪の刑罰があることをはっきりと語っています。これは非常に重要な点ですので、多くの聖書のことばを引用します。

「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている」(へブル9章27節)

「殺したあとで、ゲヘナ(地獄)に投げ込む権威を持っておられる方を恐れなさい。」(ルカ12章5節)

「兄弟に向かって…『ばか者』と言うような者は燃えるゲヘナに投げ込まれます。」(マタイ5章22節)

「そのとき主は、神を知らない人々や、私たちの主イエスの福音に従わない人々に報復されます。そのような人々は、主の御顔の前とその御力の栄光から退けられて、永遠の滅びの刑罰を受けるのです。」(第二テサロニケ1章8、9節)

「死んだ人々は、これらの書物に書きしるされているところに従って、自分の行いに応じてさばかれた。…いのちの書に名のしるされていない者はみな、この火の池に投げ込まれた。」(黙示録20章12、15節)

神様は愛なる方ですから、人間がさばかれることを決して喜んではおられません。しかし、罪に対するさばきは正しさに従って行われるものです。裁判官が罪を犯した人に対して厳しい判決を下すのは愛がないからではなくて、正しさに基づいてそうするのです。同じように、神様は必ず人間の死後に、全ての罪をおさばきにならなければなりません。それは火の燃える恐ろしい地獄での永遠の刑罰です。

神様の用意された救い

神様は恐ろしい地獄に向かっている人類をあわれみ、救い主を遣わしてくださいました。その救い主こそ、イエス・キリストです。イエス・キリストは、天国におられた神の御子が人間となって生まれてくださった御方です。

「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた」(第一テモテ1章15節)

イエス・キリストは何の罪もない御方なのに、三十数年の地上の生涯の最後に十字架につけられて死んでくださいました。それは、私やあなたの受けるべき罪の刑罰を身代わりに受けてくださるためでした。

「キリストも一度罪のために死なれました。正しい方が悪い人々の身代わりとなったのです。」(第一ペテロ3章18節)

イエス・キリストは死んで墓に葬られた後、三日目に復活されました。そして、生きておられるご自身の姿を多くの弟子たちに見せてくださいました。それは、ご自身こそがまことの救い主であられること、また全ての罪の刑罰を受け終えられたことの証でした。

「キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書の示すとおりに、三日目によみがえられたこと…」(第一コリント15章3、4節)

神様は、誰でも、このイエス・キリストを救い主として信じる者の罪を赦し、天国に迎え入れてくださいます。人間は誰一人として、行いや努力で天国に入ることはできません。ただ、イエス・キリストを信じて、神様の恵みによって罪を赦していただくしかないのです。

神様はあなたを愛しておられます。あなたがイエス・キリストを信じないままで死に、地獄に投げ込まれることを決して望んではおられません。あなたが天国で永遠に生きることを心から望んでおられます。最後に、聖書中の聖書と呼ばれる箇所をお伝えします。

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3章16節)

ぜひ、イエス・キリストを信じて、永遠の天国に迎えられる方になってください。

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