津久野キリスト恵み教会

ふくいん55号 -2015.10-

権威について

私たちの周りには、様々な「権威」があります。たとえば、私たちが住んでいる日本の国の法律も国民にとって権威あるものです。私たちは、自動車を運転する時には交通法によって支配されています。ですから、もし交通違反を犯すなら法の権威によって罰則を科されます。また、会社を運営するには会社法等に従う必要があります。ある企業が法律に反する方法で利益を上げようとしたことが後に明らかになり、経営陣逮捕などの大問題になる場合があります。このように、「権威」とはそれに逆らうものを処罰する権限を持ったものです。

最高の権威とは

しかし、多くの人によって無視されている最も重要な権威があることをご存じでしょうか。それは、この世界をお造りになった造り主であられる神様の権威です。

あなたは、神様のご存在と権威を認めておられるでしょうか。「科学が進歩した今の時代に神様なんて・・・」と言われる方がいるかもしれませんが、それは大きな間違いです。むしろ、科学的研究が進んだ結果、何が分かったのでしょうか。それは、生命は時間さえかければパッと発生するような簡単なものではないという事実です。というのも、最も単純な類の単細胞生物の細胞内の仕組みでさえ、驚くほど複雑で精密にできているのです。DNAの二重螺旋構造を発見してノーベル賞を受賞したフランシス・クリックが(彼自身は創造主を信じる者ではなかったにも関わらず)「正直なところ、現在の知識を動員して言えることは、生命誕生のために満たされるべき条件が非常に多いため、現時点では生命の起源はまず奇跡としか思えない、ということだ」と言ったのも当然のことです。

ならば、そもそもなぜ、それほどすばらしい生命が長い時間をかけて自然に発生したなどという奇跡的なことを信じ込む必要があるのでしょうか。多くの人は進化が事実だという前提に立って、物事を説明しようとします。しかし、むしろ、すばらしい仕組みがあるものを見た時に「どうやって自然にできたのだろう」というよりも「いったい誰が造ったのだろう」と考える方がはるかに合理的です。そして、その造り主であられる神様が世界を造り、私たち人間をも造ってくださったのですから、この御方こそ全ての上に立たれる最高の権威者であられることを認めるべきです。

神の権威に逆らう者へのさばき

ところが、この神様の権威が無視されている場合の何と多いことでしょうか。多くの人は神様のご存在を否定し、自分の思うままの人生を生きています。また、嘘をつき、他人の悪口や陰口を言い、心の中で人を悪く思い、さらにはまことの神様ではない偶像を拝んでいます。それらは神様が嫌われる罪であるのに、そんなことは誰でもしていることなのだから大した問題ではないと思っている人が多いのです。

しかし、権威を無視することは自分の身に刑罰を招きます。ですから、神様は人間を「殺したあとで、ゲヘナ(=地獄)に投げ込む」のです。人間の中で、さばきを受ける必要のない人、罪のない正しい人など一人もいません。なぜなら、造り主であられる神様は人間よりはるかに高い正しさの基準を持っておられる御方だからです。人間にとっては小さな罪に見えても神様の前には大きな罪です。それゆえ、人間は死んだ後で、永遠に火が燃える地獄において罪の罰を受けなければなりません。あなたも、イエス・キリストが言われたように神のさばきを恐れるべきです。

神の権威に服する幸い

神様は、ご自分の権威に逆らう者を必ずおさばきになります。しかし、同時に人間を心から愛してくださっているのです。ですから、罪人を地獄に行かせたくないと願ってくださっています。そのために、神様はご自身の大切な御子を人とならせて地上に送ってくださいました。その神のひとり子こそ、イエス・キリストなのです。イエス様は御子なる神が人となられた御方であり、何の罪もない御方です。しかし、そのイエス様が私たちの身代わりにさばきを受けるために十字架で死なれたのです。

弟の身代わりに死んだ裁判官

十字架の意味を分かりやすくお伝えするために、ある実話を知っていただきたいと思います。かつて、ある裁判官が一人の重罪人を裁いたことがありました。犯罪人が裁判官を見ると、何と自分の兄であったのです。犯人は兄に対して、容赦してくれるようにと必死に願いました。ところが、裁判官は厳しく罪を裁き、自分の弟に死刑判決を下したのです。そして翌朝には、彼は死刑にされることになったのです。一方、その犯人は獄中で、翌日の死のことを考えて眠ることができずにいました。ところが、夜中に急に兄が官服のままで牢獄にやって来て、その犯人である弟に驚くべきことを言ったのです。

「私は裁判官である以上、法律に違反することはできないので、お前を罪に定めた。しかし、今は兄としてお前を救いに来たのだ。急いで、お前の服と私の官服とを取り替えて、ここから出て行きなさい。お前は、遠方に行って、新しい生活をしなさい。二度とこのような罪を犯してはいけないよ。さあ、早く行きなさい!」そして、その裁判官は翌朝、弟の身代わりになって死刑を受けました。二日の後、このことが全市に知れ渡り、多くの人が心打たれたのだそうです。

全人類の身代わりに死んだイエス・キリスト

「神様は愛なる方なのだから、人間を地獄でさばくのはおかしい!」という人は、ぜひ聞いてください。それは、愛ではなくて、神様に不正な判決を行えと要求することです。それができないので、この話の兄のように、イエス様は本来地獄でさばかれるべき私たちの身代わりとなって十字架上で恐ろしい刑罰を受けてくださったのです。何と大きな、そして真実な愛でしょうか。そしてイエス様は死後三日目によみがえられました。誰でも、このイエス様を救い主・神様として信じ受け入れるなら、全ての罪を赦していただくことができます。そして、天国に迎えていただくことができるのです。

選ぶのはあなたです

「権威」にはさばきとは別に、もう一つの面があります。それは、その権威ゆえに、それに服する者を保護する力を持っているということです。神様に立ち返った者にとって神様は、「雀の一羽でも」忘れることのない御方であり、私たちの全てを知り、天国に到るまで守ってくださる御方です。絶対的な主権者であられる御方が私たちの味方なのです。何と幸いでしょう。あなたは、神様の権威に逆らい続けて滅びに到る者ですか。それともイエス・キリストを信じて、神様に立ち返り、その権威にかけて永遠に守られる者ですか。