津久野キリスト恵み教会

ふくいん57号 -2016.6-

聖書中の聖書
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネの福音書 3章16節)

冒頭の聖書のことばは、「聖書中の聖書」とか「小さな聖書」と言われる聖句です。確かに、この短い文の中に、神様が人間に最も伝えたいと願っておられる事柄が要約されています。そこで、ぜひとも、この聖句を通して人間にとって最も大切な福音(=よき知らせ)をお伝えしたいと思います。分かりやすい順で取り上げて行きます。

①「神は…」

聖書の最初のことばは、「初めに、神が天と地を創造した。」というものです。つまり、造り主であられる神のご存在は大前提であり、聖書はそのことについて長々と弁証することさえしていません。むしろ、人間は神がおられることを知っているのだと聖書には書かれています。

②「ひとりとして滅びることなく…」

滅びるとはどういうことでしょうか。聖書には人間の死後について次のように書かれています。

「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている」(へブル人への手紙 9章27節)

聖書には、人間は死後に罪のさばきを受けて地獄に行かなければならないとはっきり書かれています。なぜなら、人間は誰でも、聖なる神の御前に罪人であるからです。

「兄弟に向かって腹を立てる者は、だれでもさばきを受けなければなりません。兄弟に向かって『能なし』と言うような者は、最高議会に引き渡されます。また、『ばか者』と言うような者は燃えるゲヘナに投げ込まれます。」(マタイの福音書 5章22節)

「しかし、おくびょう者(=特に自分の保身のために神を信じようとしない臆病さ)、不信仰の者、憎むべき者、人を殺す者、不品行の者、魔術を行う者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者どもの受ける分は、火と硫黄との燃える池の中にある。これが第二の死である。」(黙示録 21章8節)

この中の一つも行ったことのない人がいるでしょうか。誰もいません。

③「実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。…」

神様は、人間がどれほど罪を犯して、神から離れて歩んでいても、なお人間を愛しておられます。そして、ご自身のおられる天国に迎え入れたいと願ってくださっています。ですから、私たちのために救い主を遣わしてくださいました。 その救い主こそ、イエス・キリストです。イエス様は、天におられた御子なる神が人間となって生まれてくださった御方です。イエス様は何の罪もない御方であられるのに、人間の身代わりとなって罪の刑罰を受けるために十字架につけられて死んでくださいました。

「キリストも一度罪のために死なれました。正しい方が悪い人々の身代わりとなったのです。」(ペテロの手紙第一 3章18節)

「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた」(テモテへの手紙第一 1章15節)

④「それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。…」

そして、イエス様はご自身を信じる者に永遠のいのちを与えることができる御方であられることを証明するために、死後三日目によみがえってくださいました。そして、多くの弟子たちの前に生きているご自身の姿を見せてくださり、四十日後に天に帰って行かれました。

あなたは、イエス・キリストを信じておられますか。もしそうでないなら、あなたを待っているのは火の燃える地獄での永遠のさばきです。しかし、神様は、あなたが救い主イエス様を信じて、天国に帰って来ることを願っておられます。ぜひ、あなたも聖書を通して神様が語っておられる救いの良き知らせに耳を傾け、イエス・キリストを信じる方となってください。