津久野キリスト恵み教会

ふくいん59号 -2016.12-

「こいつらを救ってやってくれ」

随分前に、教会で行う中高生対象の伝道集会について学生たちに案内したことがありました。すると、それを見た中学校の先生が「ぜひ、こいつらを救ってやってくれ」と言っていました。恐らく、何らかの問題を抱えた学生がいることを考えての発言だったと思います。しかし、それは裏を返せば、自分や特に生活の問題を抱えていない人には救いは必要ないと考えているということでしょう。しかし、実は救われなくてはならないのは、その先生も同じであり、またこれを読んでおられるあなたも例外なしに救われる必要があるのです。なぜなら、あなたもイエス・キリストが救おうとされた「罪人」であるからです。

罪人とは

ニュースや新聞などで「犯罪者」という言葉を私たちはよく見かけます。それは「法律を破って罪を犯した人」ということです。つまり、罪人とは何かの守るべき法に違反した人だと言えます。もし私が「あなたは犯罪者です。」と言えば、あなたは驚かれるでしょうか。あるいは憤られるでしょうか。しかし、事実聖書はあなたが犯罪者であると責めているのです。それは、日本の法律を破っているということではなく、それよりもっと重大な神の基準に逆らっているということです。この世界を造られた神様が、人間よりも高い権威を持っておられるのは当然のことです。そして、神様は聖書を通してこう語っておられます。

「また、彼らが神を知ろうとしたがらないので、神は彼らを良くない思いに引き渡され、そのため彼らは、してはならないことをするようになりました。彼らは、あらゆる不義と悪とむさぼりと悪意とに満ちた者、ねたみと殺意と争いと欺きと悪だくみとでいっぱいになった者、陰口を言う者、そしる者、神を憎む者、人を人と思わぬ者、高ぶる者、大言壮語する者、悪事をたくらむ者、親に逆らう者、わきまえのない者、約束を破る者、情け知らずの者、慈愛のない者です。彼らは、そのようなことを行えば、死罪に当たるという神の定めを知っていながら、それを行っているだけでなく、それを行う者に心から同意しているのです。」(ローマ1章28~32節)

罪と罰

人間は神様から離れた結果、「してはならないこと」つまり神の定め、法に逆らうことを平気でするようになってしまっています。あなたは心の中で人へのねたみや悪意を抱いたことが一度もないでしょうか。陰口や人をそしる言葉を口から出したことがないでしょうか。また、人間が木や石で作り出した偶像を拝んだことがないでしょうか。

そして、そのようなことを行っていながら、「それくらい悪くないだろう」「誰でもやっていることだ」と正当化までしているのです。しかし、これらは全て神様が忌み嫌っておられる罪です。そして、この中の一つでも行ったことがあるなら「死罪に当たる」、つまり処罰を受けるのです。そしてその処罰とは、死後に火の燃える永遠の地獄でさばかれることだと聖書は明確に警告しています。

罪人を救うため

しかし、あなたや私にとって非常にすばらしい良き知らせ(=福音)があります。それは、聖書の語る「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた」というみことばです。神様は私たち人間を愛するがゆえに、何とご自分のひとり子を救い主として与えてくださったのです。イエス・キリストは、天におられた御子なる神が人となられた御方です。そして、イエス・キリストは、私たちが受けるべき罪に対する刑罰をすべて身代わりに受けるために十字架につけられてくださいました。私たちに対する処罰は、キリストがすべて受け尽くしてくださったのです! そしてイエス・キリストは死後三日目によみがえってくださり、多くの弟子たちの前に復活された御姿を見せてくださいました。そして、神様はこのキリストの十字架と復活に基づいて、すばらしい約束をしてくださっています。

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3章16節)

何と大きな愛でしょうか。しかし残念なのは、殆どの人は、自分が罪人であって恐ろしい地獄に向かっていることに気づいていないことです。それゆえ、キリストの十字架の良き知らせが自分と関係があると思っていないことです。しかし、それは大きな間違いです。私や、そしてまさにあなたを救うためにイエス・キリストはこの世に来られたのです。どうか、キリストを信じて地獄から救われ、神様のおられる天国に迎えられる方となってください。