津久野キリスト恵み教会

ふくいん66号 -2019.6-

兄の愛と正しさ

昔、ある重罪を犯した犯罪者の裁判が行われたそうです。その裁判を行った裁判官は、何と犯人の兄でした。兄は弟を愛していましたが、裁判官である以上、法に従って死刑判決を下したのです。しかも、死刑の執行は翌朝でした。

弟は獄中で、翌朝の死刑を恐れていました。すると夜中に急に兄が官服のままでやって来たのです。そして、彼に言いました。「私は裁判官である以上、法律に反することはできないので、お前を罪に定めた。しかし、今ここに来たのは、兄としてお前を救いに来たのだ。早くお前の着物と私の着物とを取り替えて、ここから出て行け。お前は今までのようなことはやめて、遠方に行って生活しろ。」

そして、その兄は翌朝、弟の代わりに死刑を受けました。二日ほど経って、このことが全市に知れ渡り、多くの人の心を打ったのだそうです。

人間の罪深さ

この話を読んで、あなたは「なるほど。その兄のように正しくて、愛のある人物になるようにということだな」と思われたかもしれません。しかし、そうではなく、「死刑判決を受けた弟のように、あわれみを必要としている」ということを知っていただきたいのです。

人間の罪深さについて、聖書はこのように語っています。

「人はどうして神の前に正しくあり得るだろうか。女から生まれた者が、どうして清くあり得るだろうか。ああ、神の目には月さえ輝きがなく、星も清くない。まして、うじ虫でしかない人間、虫けらでしかない人の子はなおさらだ。」(ヨブ記 25章4~6節)

罪の全くない、きよい神の御目から見るなら、全ての人は汚れた罪人なのです。私たちの心の中の醜い考え、口から出てきた悪い言葉、そして行ってきた全ての罪を神はご存知です。そして、私たちがひどく汚れたものを見た時に顔をしかめるように、神は私たちの罪を醜いものと見ておられるのです。

ただ、多くの人は造り主である神から離れてしまった結果、罪に対する感覚が鈍くなっており、自分の罪に気づいていないのです。

そもそも私たち人間は、神に愛され、神と共に歩むべき者として造られました。この世界を見てください。呼吸をするためにちょうどよい成分の空気があり、豊富な水があり、熱と光を与えてくれる太陽が地球と絶妙な位置関係にあり、食物となる野菜などがあります。どう見ても、人間の住まいとして完全に整えられています。親が生まれてくる我が子を愛して部屋を用意するように、神は地球を人間の住まいとなるように愛をもって整えられたのです。

ところが、人間は神から遠く離れて、神を無視して生きるようになってしまいました。きよい神の目を意識しなくなったので、良心が麻痺してしまっているのです。神はその人間の姿に心を痛めながらも、人間が罪人である以上、おさばきにならなければなりません。ちょうど、最初の話の兄が、弟を思いながらも死刑判決を下したように。

罪のさばきの場所は、火の燃えるゲヘナ、つまり死後の永遠の地獄です。

「恐れなければならない方を、あなたがたに教えてあげましょう。殺した後で、ゲヘナに投げ込む権威を持っておられる方を恐れなさい。そうです。あなたがたに言います。この方を恐れなさい。」(ルカ 12章5節)

神の愛

神はあなたが地獄に向かっていることを悲しんでおられます。だからこそ、神は愛するご自分のひとり子を人としてこの世界に遣わしてくださいました。その御方こそ、イエス・キリストです。そして、イエス・キリストは十字架につけられ、私たちが受けるべき罪の刑罰を全て身代わりに受け尽くしてくださいました。そして、死後三日目によみがえられ、多くの弟子たちにご自分の姿を現されました。キリストは天に昇って行かれ、今も生きておられるまことの救い主、神の御子です。人は誰でも、このイエス・キリストを救い主、神として信じ受け入れるなら、全ての罪が赦されるのです。

神はご自分のひとり子を十字架につけるという、大きな犠牲を支払って、私たち罪人を救おうとされたのです。ですから、どうかあなたも自分の罪を認め、神に対する態度が間違っていたことを認めてください。そして、このイエス・キリストを信じ受け入れ、永遠の天の御国に迎えられる方となってください。それこそ、神が望んでおられることです。どうか神の恵みを無駄にしないでください。